八雲庵~カート茶のBLOG | 日々のツイートのまとめ等

田母神氏 NEWSリアルタイムで語る

田母神氏が正論を述べていることが奇跡のように聞こえてくる今の日本の風潮が嘆かわしい。自衛隊のトップとして国を背負う気概や勇気持って行動されたことを称えたい。むしろ、そういう姿勢であってもらわないと国民は不安になる。”日本は悪い国なんだ”という無能な思考停止状態では、イザというとき身を挺して国を護ることはできなくなるだろう。

tamogami03.jpg
12月8日 日本テレビNewsリアルタイムより
1/2
 →http://jp.youtube.com/watch?v=aHrl6YJF4Po&feature=channel
2/2
 →http://jp.youtube.com/watch?v=qMEqVYYS90M&feature=channel

近野キャスター
 「退職金を返納してはどうかというような意向はありました。それについてはどうでしょうか?」

田母神氏
 「私が退職金を返納するような何をやったんですか?と。返納するとは法律にひっかかるようなことを私がするわけですよね?法的に。自衛隊のどこに私がひっかかるんですか?ということですよね。日本の国の歴史を勉強して、自信を持って日本の国に誇りを持つことが何故いけないんですか?」


murayamadanwa.jpg村山談話
「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、(中略)
植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」



tamogami04.jpg田母神氏
 「私は村山談話については一言も公式に触れたことはない。(私の書いた論文は)私個人の意見を述べたものだ。」

森本敏氏(以下、敬称略)
 「あなたの言うように”日本は侵略国家ではない”という部分は、村山談話の趣旨と違いますよ?」

田母神
 「いや、私はあれ(日本が侵略国家である)がおかしいと言わなきゃね、私は私の考えで述べさせていただきました。云うことはこの自由民主主義の社会では(個人の信条で自由に述べることが)許されなければおかしいんではないか。という風に思いました。」

近野
 「直接的には(談話を)否定されているわけではないですけれども、内容的には否定したいという思いで(論文を)書かれたのですか?」

田母神
 「いつも心の中ではそう思ってましたね。」

 「例えば、村山談話に基づいてですね教育訓練(?)を徹底するってことだったらね、自衛隊は戦えない軍隊になるだけだと思います。国益を損なってるだけですよ。」

tamogami06.jpg森本
 「村山談話は過去のことを言ってるんですよ?これからのことを言っているんではないんですよ?」

田母神
 「いや、だってこれをですよ、これに基づいて教育するっていうわけでしょ?」


森本
 「いや、これに基づいて教育するというわけじゃ・・・」

田母神
 「(浜田靖一防衛)大臣がそう言ってんじゃないですか。村山談話では闘えませんよ、自衛隊員。」

近野
 「田母神さんが展開されているその思いっていうのは自衛隊の現場の隊員たちも共通の思いですか?」

田母神
 「共通の思いです。共通の思い。」


(´;ω;`)ウッ…聞いてて泣けてくる。田母神氏は正しいことを言っているではないか。

と同時にTVメディアや論客の無能振りな稚拙さに苛立ち、反感を覚える。
なぜこうも、自国を否定したがるのだろうか。。。お前らはどこの国の人間だ?と問いたい。

過去の日本という国が悪しきものであるならば、それを否定し抹殺せねばならない。
だが、歴史を振り返ることで、近年続々と新たな資料が発掘され、日本が絶対悪であるかの如き風潮は誤りであるという論客が多く出てきているのは、やはり、日本は正しいことをしたんだと。それでもいくつかの誤りを犯したことは否めないが、全面的に日本が罪を背負うかの如き考えを迎合する風潮に対して非難する向きもあるわけです。

ほんとうに悪い国ならば、田母神氏のような人物はでてきません。
そうなるまえに日本はとっくに自壊していたはずですし。

勘違いしているのは、悪だから反省しろと主張し煽り立てる論客や組織であって、

田母神氏の主張の核は
 「日本の国を我々がよい国だと思わなければ、頑張る気になれない。悪い国だ悪い国だと言ったのでは自衛隊員もどんどん崩れる。そういう意味できちっとした国家観・歴史観を持たせなければ国は守れない」
これを再認識せよと言っているだけのことです。


それをいまだに文民統制や政府の見解に反するとかで、個人の主張の自由を剥奪する現政府。政府の見解がそうだといっても それに意見を述べることは当然の権利だと氏は主張しているわけです。移り変わるその時代の変化に合わせて、いろんな思考がでてくるわけだから、見直すところはあってもいいのではないか、そのために建設的に議論をするのが民主主義でしょう。

田母神氏は本当に敬服に値する行動をされました。日本の未来に一筋の光明が見えています。

(追記)
「空爆長更迭と思想信条の自由」~日本大学教授 百地章 11月21日産経新聞紙面より一部抜粋

 今回の一連の経過を振り返ると、①自衛隊のトップが、たとえ個人的であれ政府見解と異なる意見を外部に発表したことが問題なのか、②防衛省内規に違反し、上司に文書で届け出ることなく論文を発表したことが問題なのか、それとも、③自衛隊の幹部が村山談話に反するような思想(歴史観)の持ち主であること自体が問題とされたのか、これが曖昧なまま(空爆長を更迭)処分だけが先行した。そして防衛省は隊員の防衛監察まで始めた。

 この点、読売、東京両紙は、個々人がどのような歴史認識を持とうが自由だが、航空自衛隊のトップが政府見解と相いれない見解を公表したことが問題、としていた(11月2日)。同日の産経主張がいうように、政府見解に対しては個人的に疑問を呈することさえ出来ないというのであれば問題だが、これは一応理にかなったものといえよう。

 これに対し朝日、毎日は、田母神氏の「ゆがんだ考え」や「ゆがんだ歴史観」つまり思想そのものを批判し(同)、民主党の小沢一郎代表も「そういう主張(つまり歴史観)の持ち主であることを知りながら、あえて航空幕僚長に任命した政府には非常に大きな責任がある」(NHKニュース、11月3日)と述べていた。

 もしそうであれば、幕僚長その他の公務員の採用や昇進に当たっては村山談話に反する思想の持ち主を一切排除せよ、つまり国に思想差別を行えというに等しい。公明党の山口那津男政調会長も「自衛隊のトップとそれ以下も同じような考え方だとすれば再教育しないといけない」といっている(東京、前掲)が、これも隊員の思想教育を行えということになろう。

 これらの人達は、憲法19条が思想・信条の自由を保障していることを忘れたのだろうか。

(中略)

 「村山談話」とは村山富市(旧社会党、当時)の総理一個人の見解に過ぎない。それを閣議決定までしてしまったため、その後、政府や閣僚まで拘束することになった。

 しかしながら、個人個人がどのような歴史観を持とうと全く自由であり、この談話を唯一絶対とし、一切の批判を許さないかのような風潮はきわめて危険である。にもかかわらず、首相就任のたびに「村山談話」を踏襲するのかといった質問が繰り返されてきた。そして今回はこの談話をもとに前幕僚長への糾弾がなされている。

 これは現代の「踏み絵」であって、このような悪弊から速やかに脱却し、一日も早く「村山談話」を撤回する必要があると思われる。

(追記ここまで)

谷口雅春~私の日本憲法論より抜粋

私は、日本を限りなく愛する。私は限りなく愛国者であることを欲する。こう云う言葉は真に日本を愛しない非愛国者から憎まれるかもしれない。私は限りなく日本を愛し、日本的なるものを愛するのである。

兎も角も日本国が地上に何時の時代からか存在し、神が日本人なるものを此の地上に生んだことは、何か日本国なるものや、日本民族なるものに特殊な使命が与えられているのだと感じざるを得ない。特殊だと云っても必ずしも、日本民族が他民族に優れていると云うのではない。

ささやかな梅の花にも梅の花としての特殊の美しさがある。それは豊艶な桜や牡丹の花には及ばないにしても、梅の花には梅の花に許された特殊の美がある。日本民族にも日本民族に許された小さいながらも梅の花のような美があるのではなかろうか。

私は、それがあることを信ずる。信ぜざるを得ない。

桜の花や牡丹の花を愛しないのではないが、此の小さい梅の花の雪に蔽われ、寒気と戦いながら清楚に咲き出でた基の美を限りなく愛するように、何か日本民族に許されたる日本的な美しさがあることを信じ、これを愛せざるを得ないし、愛し育てたいことを念願とするのである。

日本的なものと云えば、直ぐ人々は軍国主義的なもの、好戦的なもの、侵略的なもの、掠奪的なもの、狡猾なもの・・・・・・等々とすべて悪しきものの総称が日本的なものと誤解せられ、かかる「日本的なもの」を撥無し、消滅せしむることが、日本人にとって必要な緊急の課題だと考えている向きもあるらしい。

例えば、かつて「人間」という雑誌に出ていた「文学者の責務」と云う座談会に於いて、荒正人と云う人が、「その日本的自我を開放しなければならぬ。それはヨーロッパ的な個人主義であっていい」と平然として云い放っていた如きはそれである。

何が日本的であるか、若し「日本的」なるものが全面的に悪しきものであるならば、それらすべてを抹殺し除去しそれから人間を解放しなければならぬのは当然のことである。ただ敗戦のためゆえに、全面的に日本的なものが悪いと考えるような考え方は、若し日本が日清日露の両戦のように戦っていたときには、

「日本的なもの」は善きものだと考える考え方であり、かかる考え方は、善悪の真理についての一貫した考え方ではなく、その時その場の現象的勝敗と云う環境に迎合する時局便乗的な考え方であって、真に善悪を定めるところの考え方ではないのである。

我々は「日本的なもの」を肯定し、又は否定するまでに、「日本的」とは如何なるものであるか、その前提をハッキリさせて置かなければ、「日本的なもの」を排斥しても肯定しても、何を排斥し肯定するのか分からないことになると思う。




平成21年1月26日追記リンク
田母神論文が異端だなんて言う奴ぁ、日本人じゃねぇ(笑)~ねずきちのひとりごとさん




Posted by カート茶(silvervine37) on  | 0 comments  0 trackback

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://yakumotatu.blog36.fc2.com/tb.php/44-68800a6f
該当の記事は見つかりませんでした。