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現行憲法の第24条について

「人間の捉え方」が唯物論的であり、これが現在の民主主義の根幹になっている。
日本はこの唯物論をもとにした現行憲法の上に成り立っている。

このようなことを書いたワケは、現在の日本の仕組みがすべて現行憲法で構成されているがために、
家族崩壊・ジェンダーフリー・国籍改正法 等などの悪行を引き起こしているのではないかと思ったわけです。この現行憲法の中の一つ、第24条について触れてみます。

第三章、「国民の権利及び義務」
 第24条 家族生活における個人の尊重と両性の平等 条文

1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


参考文献紹介
私の日本憲法論 (1980年) 谷口 雅春 (著)

一、理念篇 主として国体の真諦、及び民族の使命を主題とするもので、著者独自の実相哲学の立場より追求せる神理国家日本の理念に照らして現憲法を論じた五編より成る。
巻頭は、敗戦直後の昭和二十一年七月号の「生長の家」誌に堂々と発表された。著者の信念と憂国の至情ほとばしる歴史的一文である。三島由紀夫氏が「占領憲法下の日本」の序で絶賛した「生命体としての日本国家」をも本編に収録した。ニ、思想篇 三、時務・世道篇も収めている。
(生長乃家政治連合会長 田中忠雄 記)


以下、著書より一部引用。

この文章の通りに解釈したら、婚姻即ち結婚は両性のセックスが合意したら、それに基づいて成立する。両方のセックスのみが快楽を得て幸福感を得られるなら、その結婚は成立するというのであります。

ここには魂的なものは少しも書かれていないのであります。
「両性の合意のみおいて成立し」と「のみ」まで附いている処に注目すべきであります。

だから、両方のセックスの合意以上のもの、本当の愛というようなものであって結婚するなら、
もう既に現憲法違反ということになる恐れがあるのであります。
況や、親に相談したりしたら憲法違反であるということになるのです。

そういうふうに肉体の快楽のみが中心になって結婚というものは成立するのであると書かれている。

此処に明らかに現憲法というものは民主主義憲法とは言うが、肉体民主主義憲法であって決して人間を霊的存在として認めている憲法でないと言うことが出来ると思うのであります。

だから幾ら、人間を尊重する憲法であると言っても根本的に人間をセックスから生まれてきたところのそういう低い次元に於ける唯物論的人間として認めているのでありますから、本当に人間の尊厳というものを認めている憲法ではないのであります。

だからセックスの快楽のみが重んじられて、その結果生じたところの胎児は堕胎してもよいという法律がこの憲法を背景に出来ているのであります。

更に現憲法には団体争議権というものが認められております。大変便利なようでありますけれども結局赤い思想の人達がこの憲法の条項を利用して革命準備演習をするのを停めることが出来ないように作られているのです。

で、毎年の定期闘争の如く、総評議長の命令一下、忽ち日本の大動脈であるところの国鉄を全部停め得るところの権利を持っている訳なのであります。

で、何千万人の国民の足が奪われて、国民がどんなに迷惑を蒙っても「我々働く者がもっと多く給料を貰いたければ、闘争して国民の足ぐらい止まってもいいじゃないか。ワシの懐さえ肥えればいいのである。」

という利己的な餓鬼道的な人間の物質的欲望の上に更に欲望を飽くなく追求して闘う煩悩を正しいとして基本的人権として肯定しているのが現憲法であります。
 引用ここまで 


この後、少し要約すると、
憲法で保障されている表現の自由・言論の自由によって、青少年の非行化をも止める術がない。
戦中・前においては猥褻な一文でもあると没収される風潮だったのが、今は卑猥な行為や描写を抑えることは憲法違反になるのであり。18歳禁の映画でも今の子供は育ちがよく大人な体格なため、自由に劇場に入って見ることが出来る。そして性欲が興奮する。

「婚姻は両性の合意のみ成立する」と決められているために、青少年の性の氾濫、非行によって妊娠した子供は堕胎しても咎める法律がないのです。
ですから、両性すなわち肉体。すなわち物質の観点でしか物事を捉えることができない仕組みを改める必要があるはずでした。

手元にあるこの著書は昭和50年版物ですが、終戦直後すでに発表されていたという。
その当時においてすでに谷口雅春先生は現代を予言されていました。
三島由紀夫も絶賛されたように、西洋民主主義的現憲法の利点・欠点を知り尽くしていたのでしょう。

終戦の風景とは ~三島由紀夫談

終戦の時私は終戦の詔勅を親戚の家で聞きました。
と申しますのは、東京都都内から離れたところの親戚の家、
私の家族共が疎開をしていまして。
終戦の詔勅自体については、
私は不思議な感動を通り越した空白感しかありませんでした。
それは必ずしも洒落たものではありませんでしたが、
今までの自分が生きてきた世界がこのままどこへ向かって変わっていくのか、
それが不思議でたまらなかった。
そして戦争が済んだら、あるいは戦争が負けたら、
この世界は崩壊するはずであるのに、
まだ回りの木々が緑が濃い夏の光を浴びている。
ことにそれを普通の家庭の中で見たものでありますが、
周りに家族の顔もあり、周りに普通のちゃぶ台もあり、日常生活がある。
それが実に不思議でならなかったんであります。

しかし法律学関係のアカデミズムの若い学者たちは、
これから自分たちの時代が来るんだ、
新しい知的な再建の時代が始まるんだと、
いわば誇張して言えば”欣喜雀躍”(躍り上がって大喜びすること)という様子でありました。

私の今までの半生の中で20歳までの20年は
軍部がいろいろなことをして軍部のそうやって一部の極端な勢力がありましたが、
それをあそこまで破滅的な敗北へ持っていってしまった。
その後の20年は一見太平無事な時代が続いているようでありますが、
結局これは日本の工業化のおかげでありまして、
精神的にはやはり何ら知的再建に値するものはなかったんではないか。

ちょうど(昭和)40年、41歳の私は、
ちょうど20歳の時に迎えた終戦を自分の目処として、
そこから自分の人生がどういう展開をしたかということを考える一つの目処になっております。

これからも何度も何度もあの8月15日の夏の木々を照らしていた激しい日光。
その時点を境にひとつも変わらなかった日光は私の心の中にずっと続いていくだろうと思います。


工業化つまり昭和の高度経済成長で日本は劇的な力をつけ、世界のトップに躍り出ました。
物があふれ、物質量面では豊かになりましたけれども、人々のなにかこう、心の虚しさというか、
空虚な感じは強くなっていくのは否めないと感じていました。
物が豊かになるにつれ家族のあり方が移り変わっていく中、日本人が本来持つべき心の豊かさの面がおざなりにされてきたのではないか。

その空虚さ心の豊さが見直されない理由は現憲法の影響があるのではないかと思ったりもします。
それはそうです。アメリカ人によって日本を統治するために作られたのが現憲法ですから。
これを解決するためには見直しが必要ですし、改正されねばならないと強く感じます。

時は無常に流れ、
一刻も早く憲法改正もしくは自主制定への動きも無いまま半世紀をとうに越えてしまった。

国籍改正法の施行が目前に迫っている現状。微力ながらも憲法改正への流れが生まれる期待感があるが、赤い思想の連中が根強く蔓延っている間は即急に改憲するのは不可能なので、どうすることもできないのです。
放っておくと日本社会は今以上に滅茶苦茶になってしまいます。考えたら誰でもわかることです。
良識をお持ちの議員さんならいいかげんに目を覚ましてほしいと言いたい。

だがしかし、正義や道徳よりも”経済が大事”で突っ走っている人には本質が見えないのでしょう。
日本人の血を引かない民族による日本国乗っ取り作戦が始まろうとしている。
Category : 憲法
Posted by カート茶(silvervine37) on  | 0 comments  0 trackback

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