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天皇陛下とマッカーサー㊦

⑥奥村手記は2種類あった
⑴ 藤田尚徳(ふじたひさのり)侍従長の証言(中公文書『侍従長の回想』)
  昭和天皇がマッカーサーを訪ねられたとき、随行していた藤田尚徳侍従長が後日、
  「御会見の模様」をまとめた記録が届けられ、それに目を通したという。
  【当然ながら陛下も(確認の意味で)閲覧されている】

これはただ一人同席した通訳の奥村氏がまとめた記録(奥村手記)と考えるほかない。
ところが「宮内省の用箋に5枚ほど」の記録だったという。
(宮内省で作成され保管されていた用箋)

となると、
先頃公表された外務省の用箋を使用した奥村手記とは、明らかに別物だ。


そこ(宮内省用箋)に収められた昭和天皇の発言は次の通り。

kaiken28.jpg敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが責任は全て私にある。
文武百官は、私の任命するところであるから、彼らに責任は無い。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委ねする。
この上はどうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい。


つまり、

●外務省用箋は「~遺憾であり」の意が記され、

■宮内省用箋には上と加えて「私の全責任」と記されていることになる。


奥村氏の後を受けて、第八回以降の御会見の通訳に当たった松井明氏(外務省政務局第五課長)の手記によれば、

陛下が一切の責任を一身負われる旨の発言は通訳に当てられた奥村氏に依れば、
あまりの重大さを顧慮し、記録から削除した

という。(『論座』平成14年11月号)

※要するに、「天皇が全責任を負う」旨の用箋が2通作成され、
 外務省向けの用箋はこの部分を削除して送達されたということだ。


当時、連合国内には昭和天皇の戦犯処刑を求める声が猛烈に強かった。
そうした状況下で昭和天皇ご自身が「戦争責任」を認める発言をされたとの情報が
表面化すればどうなるか。


それはGHQとしても決して望まない状態であったろうし、
日本側にもそのことの危険性は十分認識されていた。


この年11月、アメリカ政府は、マッカーサーに対し、
昭和天皇の戦争責任を調査するよう要請した。
マッカーサーは、「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」と回答したという。


回想記より

私は、天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴え始めるのではないか、という不安を感じた。連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めろと言う声がかなり強くあがっていた。現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。私は、そのような不公正な行動が、いかに悲劇的な結果を招くことになるかが、よく分っていたので、そう言った動きには強力に抵抗した。
 ワシントンが英国の見解に傾きそうになった時には、私は、もしそんな事をすれば、少なくとも百万の将兵が必要になると警告した。天皇が戦争犯罪者として起訴され、おそらく絞首刑に処せられる事にでもなれば、日本に軍政をしかねばならなくなり、ゲリラ戦が始まる事は、まず間違いないと私は見ていた。結局天皇の名は、リストからはずされたのだが、こういったいきさつを、天皇は少しも知っていなかったのである。


ようするに、日本の秩序は天皇の存在によって保たれており、
アメリカは日本政府を通じて間接統治を行っていたということだ。
その天皇を戦犯にすれば、根本から日本が崩れる。
マッカーサーもそのことを熟知していたのである。


9月26日付、ニューヨークタイムズ「天皇、今は戦争反対だと語る」
その頃マッカーサーは、会見を前に、昭和天皇に関するあらゆる情報を集めるよう、
部下に指示していた。秘書官は、「我々は、昭和天皇について、徹底的に調べました。
例えば、彼は、海洋生物学の権威でした。昭和天皇が、タバコ好きなことも知りました。
そこで、マッカーサー元帥は、タバコを持っていくことにしました。
こうして、元帥は、昭和天皇についての十分な知識を持って、会見に臨むことができたのです」。


いかに当時の日本が緊迫した状態だったか理解できよう・・・。

結果、マッカーサーとのやり取りは未来永劫秘密とされた。
「男の約束だから言わない」


1946年1月、昭和天皇は人間宣言を行った。その年の2月から9年かけて、日本各地を巡幸し、国民と直接言葉を交わした。1977年夏、那須御用邸で記者会見を行い、初めて戦後の思い出を語った。しかし、マッカーサーの初会見で、何を話したかについては、言えないと答えた。「マッカーサー司令官と、はっきり、これはどこにも言わないと、約束を交わしたことですから。男子の一言の如きは、守らなければならない」と。
 1989年1月、昭和天皇が亡くなるまで、ついにマッカーサーとの会見の内容について語ることはなかった。


⑦憲法を越える「民の父母」としての責任
大東亜戦争について昭和天皇に法的・政治的責任は無い。
立憲君主としてのお立場に限定すれば、児島氏の見解の通り、
「自分に責任がある」とのご発言は出てくる余地は無い。

しかし昭和天皇は確かに「責任はすべて自分にある」と明言されている。
これは何故か。

かつては第105代後奈良天皇は16世紀の天文の大飢饉に際し、民衆救済を祈って
般若心経を自らお写しになり、奥書には次のように認められています。

 こ と し 天 下 大 疫、万 民 多 く 死 亡 に お つ

 朕 民 の 父 母 と し て 徳 覆 ふ あ た は ず 

 甚 だ 自 ら 痛 む


この時の飢饉や悪疫の流行に対し、
後奈良天皇の法的政治的責任を問われるいわれのないことは言うまでもない。
しかし、「民の父母」として、自らの責任を
心中深く銘記しておられた。

kaiken33.jpg

昭和天皇がマッカーサーに語られた「責任」とは、
まさに憲法や制度を越えた「民の父母」として、天皇が自ら進んで背負われた責任であった。
(引用ここまで 一部付記あり)



・゜・(つД`)・゜・ウワァァァァァン
陛下は常々、僕ら国民を自分の子供として扱ってくださっていたんですね。。。
2600年余り続いた皇統の歴史・地位を棒に振ってでも国民を護ろうとした。。。

当時のアメリカがしたことは今更責めるつもりは無いが絶対に許すことはできない!
終戦の詔勅にも言及されているように、陛下は東亜の平和を願っていたから、
他国への侵略・主権を侵すなどという暴挙もあり得ない。
だから、戦争責任を問われる筋合いもないのだ。


”宜シク挙国一家子孫相伝エ、確ク神州ノ不滅ヲ信シ、任重クシテ道遠キヲ念イ、

 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ、道義ヲ篤クシ、志操ヲ鞏クシ、

 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ、世界ノ進運ニ後サラムコトヲ期スヘシ。

 爾臣民、其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ”


御詔勅にはこう結ばれている。



天皇はなぜ尊いか~「ぼやきくっくり」さん→http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid562.html


ソース動画→昭和天皇はマッカーサーに本当は何を語られたか

channelsakura
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(付記)

 マッカーサー元帥は、側近のフェラーズ代将に、「私は天皇にキスしてやりたいほどだった。あんな誠実な人間をかつて見たことがない」と語ったと言う。(当時外務大臣であった重光葵氏が、1956年9月2日、ニューヨークでマッカーサー元帥を尋ねたときの談話による。)

 他にも、「一言も助けてくれと言わない天皇に、マッカーサーも驚いた。彼の人間常識では計算されない奥深いものを感じたのだ」〈中山正男氏、日本秘録98項〉

 「この第一回会見が済んでから、元帥に会ったところ、陛下ほど自然そのままの純真な、善良な方を見た事がない。実に立派なお人柄である」と言って陛下との会見を非常に喜んでいた」〈吉田茂、回想十年〉などの記録がある。 

 マッカーサー元帥は、陛下がお出での時も、お帰りのときも、玄関までは出ない予定であった。しかし、会見後、陛下がお帰りの際には、思わず玄関までお見送りしてしまい、慌てて奥に引っ込んだ事が、目撃されている。〈吉田茂、回想十年104項以降〉。



昭和20年終戦時の御製
kaiken000.jpg

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