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天皇陛下とマッカーサー㊤

人は、イザという時それも緊迫した状況の中、良い判断を心に描くことはできても、
それを即座に行動に移せることができるだろうか?
常日頃の心はどこにあるのか。その行ないに沿って運命が決まる。
そしてイザという時にこそ、その人の本質(実相)が顕れるのだ。

kaiken26.jpg有名な昭和天皇とマッカーサーの会見はその状況を見事に演出している。
演出とは無礼を承知で言わせていただく。この会見で示された二人の姿は、一個人同士の互いの国益を絡めた駆け引きの中で、護るべきものは何かを示されました。それは人の命、尊厳、誇りのドラマであった・・・。
この会見はどのようなやり取りだったのだろう。
ちょっとワクワクしたので取り上げてみる^^

桜プロジェクト -高森アイズ~平成20年5月7日号より
①マッカーサーの証言「マッカーサー回想記」
昭和20年9月27日、昭和天皇はマッカーサーをお尋ねになった。
会見に同席したのは、当時外務省から宮内省に出向しており、
この時、通訳を務めた奥村勝蔵氏のみでした。
(ただし、カーテンの陰からマッカーサー夫人のジーンが覗いていた)

天皇の口から出たのは次のような言葉だった。

「私は国民が戦争遂行にあたって政治軍事両面で行ったすべての
決定と行動に対する全責任を負う者としてお訪ねしました。」


私は大きな感動に揺すぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている
諸事実に照らして明らかに天皇に帰すべきでない責任を引き受けようとする、
この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までもゆり動かした。
私はその瞬間、私の前にいる天皇が個人の資格においても日本の最上の紳士で
あることを感じ取ったのである。


ところが次のようなことが判明される。

②マッカーサーの証言の弱点
⑴ 「回想記」は御会見から20年近くも経た昭和39年に
  『朝日新聞』紙上に連載されたもの(同年単行本として刊行)
⑵ 同書中には、間違いや誤解、事実無根の記事が多く含まれているとの指摘がある。

③奥村手記の公表
平成14年10月17日、
外務省は当日通訳を勤めた奥村勝蔵氏がまとめた「御会見録」を公表。
これに続いて、宮内庁も書陵部で保管していた同記録を公表した。
「一字一句違わない。用箋も同じ。」という。(羽毛田信吾同庁次長)
 ※御会見の直後に公務として作成された公文書は2通あった。
   (全く同じ記録が二つ作成され各々で保管されたということ)
ところがその中には・・・。


此ノ戦争ニ付テハ、

自分トシテハ極力之ヲ避ケ度(タ)イ考デアリマシタガ、

戦争トナルノ結果ヲ見マシタコトハ自分ノ最モ遺憾トスル所デアリマス


と発言があるのみで「全責任を負う」という発言が記されておりません。

「回想録」と「奥村手記」の矛盾
この二つの違いはどう判断すればいいのでしょう。

④児島襄(こじまのぼる)氏の見解(戦争史研究作家)
戦史家の児島襄氏は、外務省の奥村手記公表より、はるかに先立って同記録を入手、「文藝春秋」昭和50年11月号にはほぼ同文のものを発表された。
(同氏『天皇と戦争責任』文春文庫所収)

天皇がそのような、憲法の規定を逸脱する『自分に責任がある』というようなことを
発言されるはずが無い。
(『日本への回帰』第24集)

大日本帝国憲法下において天皇といえども、国務大臣の御璽なしに軍統帥部の御璽なしに国政上あるいは軍事遂行上の重大な決断をすることは出来ない。
したがって、自分の責任であるということには憲法上発言はできない。
昭和天皇がそのような発言をするのはお門違いだというのである。

(御名御璽~天皇の名前と天皇の公印。詔勅などの末尾に御名と御璽が記されていることを表す。法律の公布にあたっても記される。)

⑤マッカーサー証言を補強する史料
⑴ 会見の一ヶ月後の10月27日付でGHQ政治顧問のジョージ・アチソンが国務省に打電した電文。
1974年8月まで「極秘」指定されていた。

マッカーサーから聞いたところでは
『・・・天皇は日本国民の指導者(リーダー)として、臣民の取ったあらゆる行動に
責任を持つつもりだと述べた』

とのこと。

⑵ マッカーサーの副官を務めたフォービアン・パワーズの証言

会談が終わり、陛下の一行をお送りした後、元帥に呼ばれて部屋に行くと、
元帥は本当に感動した様子でぐったり椅子にもたれていた。

(『サンケイ』昭和50年8月15日付)


私は彼が怒り以外の感情を外に出したのを見たことが無かった。
その彼がほとんど劇的ともいえる様子で感動していた。

(『読売』昭和62年10月26日付夕刊)


※前述の奥村手記の「~遺憾である」とする天皇のお言葉に対して、元帥がこのような態度をしめすだろうか?

彼(マッカーサー)から聞いたのは『私を好きなようにしたまえ』というものだった。
まるで歌舞伎の身代わりのようだね・・・。
そこでマッカーサーは感激し、彼(昭和天皇)を護ろうとした・・・。


(マッカーサーは言った)
「天皇を殺すことは、イエス・キリストを十字架にかけることと同じだ。
日本人は立ち上がり、大反乱を起こすだろうね」とね。

(『新潮45』平成11年9月号)


アメリカは天皇を戦犯にしようとしたが、元帥はそれをすれば占領統治はうまくいかない。破綻するだろう。キリストに例えることで陛下を護ろうとしたのだ。

⑶ 昭和30年9月2日、
   重光葵(しげみつまもる)外相が、訪米時マッカーサーを訪ねたところ、
   『回想記』と同様のご発言を伝えた。(『読売』昭和30年9月14日付)

~天皇陛下とマッカーサー㊦へ続く

Posted by カート茶(silvervine37) on  | 0 comments  0 trackback

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