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たかじん~南京大虐殺の嘘

higasinakano.jpgテレビで取り上げることが皆無な”南京大虐殺”について。
この事件が戦後日本社会の元凶だと言っても過言ではないだろう。
参考過去記事→東京裁判の根拠
なんと、過去に”たかじんのそこまで言って委員会”に取り上げられていた@@


ネットでしか容易く手に入る場所がなかったため、この虐殺は嘘だという視点から
地上放送より一般社会に公開されたというのは決して小さなことではない。

動画には支援コメントが多い中、反日の工作員のコメントに焦りが見られます。

大虐殺の証拠として使われた写真が全て捏造であると東中野教授は述べられている。
「これは歴史の検証作業なんです。虐殺があったかないかは別次元の問題なんです。
これらの写真が真実なのかどうなのか。疑問点・矛盾点はないのか。出所はどこで、
どういうふうに伝えられていったのか。そこを押さえているわけです。」


(コメント消せます。リンク先の動画ウィンドウ右下のひよこ?COMMENTをクリックしてXにしてください)


出演者のデーブ・スペクターはしつこく、
捏造されていることを承知の上で虐殺を正当化、つまり”実際にあった”ということで
写真を特化して使ったとは考えられないのか?という旨の質疑を投げかける。

これに隣の宮崎哲弥さんが激しくツッコミ。
「デーブさんの言っていることは、例えば”UFOは実在する”という前提で
(UFOを撮影した)捏造写真を使うことも許されるんだ。そういう論法になってるよ。」

デーブ「矢追純一がそう言ってる。」(スタジオ失笑)

(* ̄m ̄)プッ ボロがでたなw

なるほどね~^^

結論を言うと、証拠写真は全て捏造である。
よって南京での大虐殺があったという理由にはならない。
だが、大虐殺は”ない”という結論付けもできないのだ。

金美齢 「あくまで大虐殺はあったとするならば、中共は明確な証拠を出すべきですよ。」

おっしゃるとおりです(`0´)

いまだに決定的な”あった”とする証拠は提示されていない。
当の中共はそんなことは気にも留めず、
南京大虐殺を正当化させるためにいくつものドキュメンタリー映画を世界各地に向け
輸出している。
1985(昭和60)年南京に屠殺記念館がオープン。”抗日記念館”等複数の呼称がある。
2007年12月には拡張工事を行い、一種のテーマパークが建設されたのだ。

中国人の中から「愛国虚言」という言葉が出てくるそうだ。
それは中国では国を愛するあまり、国の敵への憎しみが深いほど虚言は大きくなる。
そしてひとたび「愛国虚言」が出現すれば、たちまち民衆にとってタブーになり、
虚言と知りつつも異論を唱えることはできなくなる。
そしてこのタブーを犯して真実を公言すると、漢好(裏切り者、売国奴)のレッテルを
はられるというのだ。
稲田朋美著「百人斬り裁判から南京へ」


こんな価値観を異にする国とどうやって付き合おうというのか?

日本は自らの言い分をはっきり発信発言し、やつらに屈服してしてはならない。

おまけ 南京大虐殺の虚構(The fake of Nanking)

この動画は、未成年には不適切な可能性があります。 と脅しがでるが無視しておkです^^

TRAILER~「南京の真実」 本邦初、南京の虚構を暴く映画



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「東京裁判」の根拠2

続き

それをみても。。。”虐殺” という言葉は出てきません。
同じなんですね。”流れ”がずうっと
そしてこのままずうっとその”流れ”がありますが、


実は、同じ南京の欧米人が”プロパガンダ”、、、
日本語でプロパガンダとしか言いようがないんですね。
日本人はプロパガンダしていませんから、プロパガンダという意味の翻訳ができません。
強いて翻訳すれば、悪戦略、偽宣伝~~宣伝。

南京の同じ欧米人が”プロパガンダ”をします。

まずそれは、南京陥落”直後”にその”プロパガンダ”がでます。

三日後ですね。
(アメリカの大新聞に)「南京虐殺物語」というタイトルを記事として出ます。

そして、7ヶ月後の昭和十三年七月に「戦争とは何か」(H・ティンパーリ編)という本が出ます。

この二つ、つまりアメリカ人が書いたこのプロパガンダというものが、
アメリカの新聞に載り、その記事が単行本となって出版され、
そしてそれが、

東京裁判の唯一の根拠になりました。

東京裁判のアジアの根拠それが長い間分かりませんでした。。。
しかし、ようやくこれが分かった。

これが、アメリカの新聞記事、その他の新聞とそして「戦争とは何か」という
極東~~宣伝部が密かに作った~~宣伝書籍。
この二つが東京裁判の根拠となっておりました。

そして、その東京裁判の後ですね。
本多勝一さんが北京政府の許可を得て、単独で取材して「中国の旅」として
連載記事をお書きになり、昭和四十六年です。
そしてそれが単行本になる。これで中国の国府政府は
南京大虐殺を”輸出”したわけです。

”輸出”したのはどういうことかと言いますと、同じころにフランスの学者や学生達が、
北京政府の強力な支援の元に中国の旅行~の本を英語版で、
1500ページの分厚い本です。を作って同時に

本多勝一さんの「中国の旅」を同時にほぼ同時に出版しました。

その1500ページの中国の~~南京という項目がありますが、
南京事件は、”1927年”の南京事件でありました。
1937年の日本軍の南京占領ではありません。

先立って南京事件といえば、
1927年の国民党蒋介石軍が国別?の土地南京を陥落させます。
そして欧米人を虐殺します。日本領事館領事長以下も牢獄されたというこの
1927年3月の南京事件は戦前の南京事件であったんです。

フランスには南京大虐殺を輸出する。。
日本で南京大虐殺のことを一生懸命にいう人がいるから日本に南京大虐殺を輸出して、
先日の南京陥落記念70周年に至っている。

と、こういう流れでございます。

(文字起こしここまで。)
(~~~や、○部分は聞き取れず)





復讐の儀式であった東京裁判は
明らかに勝者(連合国)側による一方的な制裁劇場であったわけだけど、
なぜにこのような大げさなプロパガンダを発したのだろうか?
日本を裁くために周到?に用意された証拠物件となったわけであるが、
それが戦後63年を経て、ネットのいたるところで、
ブロガーによって論じられているし、
そして水島総さんがこしらえた映画「南京の真実」
東京裁判の根拠となった「南京大虐殺」の実態を解き明かしてくれる。

もちろん、これらを良く知る学者や知識者は当然ではあるけれど
この映画は普段政治に疎い、関心が無い人にも今世の中で起きている出来事に
関心を持たせるきっかけになるはずだ。

TRAILER~南京の真実







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「東京裁判」の根拠

映画「南京の真実」シンポジウムにおいて(H19年12月)
亜細亜大学教授の”東中野修道”先生の論説を文字起こし。

復讐の儀式である”東京裁判”の根拠について分かりやすく述べておられました。



以下より
ある事件がどうだったか。
ある事件をどう解釈するのが正しいのか。
元のところまで遡って考えていく必要があるわけです。
そうみますと抽象的ですから、具体的に申しますと、

三年ほど前、”毎日毎日?ワイドショー”の話題になったことがありますが、
それは、福岡二区選出の民主党の新人議員が自民党の”山崎拓”を破って当選しました。
ホームページに”アメリカのペパーダイン大学卒業”と経歴を載せていたはずです。
この問題、ずいぶん大きな問題になりました。

元を辿っていきますと、結局ペパーダイン大学が、その人、その卒業生と称する
人の記録を持っているか、持っていないかに行き着いたわけですね。
で、結局卒業したという記録が無かったために、
”卒業という事実”は無かったと、こういうことになりました。


日本軍の南京占領はどう考えたらいいのか。どう考えるのが正しいのか?
このことをずうっと遡っていったわけです。

そうしますと、二つの”流れ”があります。

ひとつ、事実はそうだったんだろうという”流れ”です。

で、もうひとつは、
同一人物が言っていることと、自分たちが公文書に書いていることと、
全く違った宣伝をしているとしか思えない”流れ”。

この二つの流れがあったわけです。


まず、”事実の流れ”からいきますと、
先ほど映画でも多くの方々が南京に45日間いたけれども、
「虐殺・強姦、そんなこと、聞いたことも見たこともありません。」と。
こういう証言をされていました。
リンク→南京の真実「証言」1/2

ところが、、、南京にいた欧米人ですら、”そう”言っているんです。
~~知りませんけれども、
南京の欧米人は、日本大使館に~~~~報告書をいうものを作っておりました。
その中で、殺人は24回、
目撃された殺人は1件、しかも合法的処刑でした。
そうして言えば、お隣の富沢先生(横に同席されている)が
日本語で利用できるアメリカ人やドイツ人や中国人の
その当時の記録をパソコンにインプットなさった。

それでもやはり、同じ結果です、殺人は。

強姦は17回、略奪は26回、放火が1件、足して44件です。
二ヶ月間。
これを多いと見るか。少ないと見るか。

日本軍の大不祥事と見るか。 そこに問題があります。

ちなみに申し上げますが、
広島県の呉に敗戦後、連合軍が占領しにやってきます。
昭和二十年の十月から年末までの・・・二ヵ月半くらい、14人が殺されています。

昭和二十年の八月十五日 
それから二週間経ちました八月三十日に、神奈川県に米軍が上陸します。
八月三十日から一週間の間に、800件なんです。
”それを報道するな”という、その後報道禁止しましたけど、
その後はどうなったのか分かりません。


日本軍はあの南京で不祥事があった場合、
本当に厳しく罰したんですね。
それでも数十件です。殺人は1件もございません。
で、そういう流れが今から私は何人の欧米人が記録した~~~報告というものに
基づいてお話をしているわけです。
彼は、アメリカの東京の大使館から南京の○○部会が南京に飛びまして
実情調査しました。
夜を賭して、南京の欧米人たちと情報を交換しました。
その結果、視察報告の記録が出ています。

それをみても。。。”虐殺” という言葉は出てきません。


同じなんですね。”流れ”がずうっと


そしてこのままずうっとその”流れ”がありますが、

続く



(~~~や、○部分は聞き取れず)







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復讐の儀式~「東京裁判」

先の大戦、大東亜戦争に敗北後の今日に至るなかで、
”日本は悪であった”とする誤った歴史認識は
全て、アメリカ軍による一方的な復讐の儀式で始まった。

歴史に名高い”東京裁判”である。



(引用ここより)
正式には「極東国際軍事裁判」という。
国際という名称があるから、何か国際法に基づいたものだと
思っている人も多いが、それはまったくの誤解である。

この裁判の根拠となっているのは、占領軍(主にアメリカ軍)が
公判直前にこしらえた
「極東軍事裁判所条例」(昭和二十一年一月十九日布告)という
一連の文書にすぎない。

それどころか、裁判官と検事がグルになっているのだから、
これは裁判と呼べる代物ですらない。

検事がすべて戦勝国の人間であるというのはまだましも、
裁判官もすべて戦勝国か、その植民地国の出身で、
中立国の人は一人もいないのだ。つまり、これは裁判という
名を借りた復讐の儀式だったのである。

かつて、宗教裁判にかけられた”ジャンヌ・ダルク”は

自ら「神の声に導かれた」と主張し、

異端審問の検察官は、
「悪魔に導かれた」と主張し、被告側は「正当な自衛権の行使であった」
と主張した。侵略戦争の法的定義は確立しておらず、
国際法でも認められていなかったから、
「悪魔に導かれた戦争」という言いがかりと同じようなものである。

また、ジャンヌを捕らえたイギリス軍にとっては、イギリス占領下のフランスに
ジャンヌの真似をする人が将来また現れると困るので、
ジャンヌを魔女として処刑することが軍略的に必要だったという。


話を戻して、当時の連合国にとっては、再び日本みたいな強い
有色人種の国が出て、白人の権益を脅かすことが将来にわたって
起こらないようにと、日本人の代表を魔女のごとく処刑し、
二度と魔女みたいな者が現れないように配慮した。
日本人に劣等感と罪悪感を持たせよ、というマッカーサー司令部が
行ったものである。
(後にマッカーサーは自伝の中で、「日本の戦争は概ね自衛のためのもので
あった」と公式に述べている。)


これで、日本の戦前の行為を「悪魔に導かれた」とする根源は、
絶たれたはずであった。

ところが、日本の革新政党や進歩的な大新聞は
東京裁判史観、つまり朝鮮動乱以前のアメリカの日本観を固守した。

特に、革新政党の支配下にあった日教組は、この東京裁判史観を
教科書と教室において永続化することに成功したのである。

「日本は犯罪国家であった」という”勝者の言い分”のみを
子供たちに教え、”負けた側の言い分”については、一切教えてこなかった。

しかも、「日本人には自国に対し罪悪感を持たせるようにすべし」という
マッカーサー司令部の命令が徹底的に実行された。

このことが、どれだけ日本に損失を与えたかは、計り知れない。。。

言ってみれば、

物心つかないうちから

「おまえの父親も、おじいさんも極悪人であった」とだけ言い聞かせて育てるようなものではないのか。

例え、それが事実であったとしても、そのことだけを吹き込まれて育った子供が、

はたして”自分らしさ”を持ちうるだろうか

またそういう教育を受けることが幸福といえるのであろうか


(引用ここまで)
以上、渡辺昇一の昭和史 より

続く

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