八雲庵~カート茶のBLOG | 日々のツイートのまとめ等

昭和の日をお祝いする集い。俳優津川雅彦さんのスピーチに感動。

先ほど、4月29日九段会館にて昭和の日をお祝いする集いが開かれました。

チャンネル桜 ― 2010年05月02日 ― 激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたすため、昭和天皇のお誕生日が祝日となった「昭和の日」をお祝いするために開催された『「昭和の日」をお祝いする集い』の模様をお伝えします。


http://www.youtube.com/watch?v=WINbEnchw-U&playnext_from=TL&videos=LcUH0sJM84c

3:20あたりから文字起こし

家族と云うものを大事にしたい。それがあの・・・夫婦別姓なんていうところの、世も末っていう法案が鳩山によって出されておりますが、

なにより、僕は“その心が大事だ”というこの日本文化。心の文化。
その中でも、天皇陛下、昭和天皇が行動で示してこられた“徳”徳の文化。
これこそが日本人の誇るべき文化でありまして。

じゃ、徳というのはどうしたら出来るのか。孔子も言っておりますが、一に孝。
だから中国の兵隊たちはですね、戦いをしてても故郷の家族が父が病気になると戦いを捨てても見舞いに行きます。

しかし、大東亜戦争の最中、日本人はどうだったでしょうか?

みんな“天皇陛下万歳”と言って死んでいきました。

左翼はですね、この天皇陛下万歳は嘘なんだと、建前なんだと。そして次に“母さん”と言って死んでいったと、この母さんが本当なんだと。その前の天皇陛下は、あれは建前なんだと。自慢なんだと嘘だと言って我々に教えました。

つまり昭和15年生まれというのはですね。終戦の翌年、21年の4月に(小学)一年生になる。
つまり戦後の初めての小学校一年生が私の年代です。
ですから戦後の教育を真っ当浴びてきた人類なわけで、日本人なわけでございます。

愛国とか天皇とか、そういうことは一切省かれて教えられてきました。

しかし、我々はまだその前の世代を家族の思想を継いでおりますから、国を愛することとかもちろん家族を愛することと同時にもっと尊い天皇陛下というものが我々にとってはかけがえのない存在として、国を愛することを人格化して天皇陛下と。そういう意味で我々は教えられなくても(そんな)気がしておりました。

しかし、どんどん、先ほど皆さんもご心配なさっておりましたけれども。
愛国精神、愛国なんてことをですね、友愛とかなんとかで誤魔化してですね。

天皇陛下万歳ってことをですね、言って死んでいった。そのあとにお母さんと言った。お母さんが本当で天皇陛下は嘘だった。そんなバカなことが皆さんできますか?(拍手)

死に際ですよ。死に際。例えば特攻隊でもう敵艦が目の前にいて、さあ!俺は死ぬぞと思った、つまり何秒前です。その時に“天皇陛下万歳!”そして最後に“~お母さん!”二つとも本当に決まっているじゃないですか!(拍手)

死に際で建前と本音を使い分け出来ません。人間は。

左翼の人間は別でしょうけど。もぅ建前だけですからあの人たちはね。
平等なんてとんでもない悪平等です。

平等に必要なのはそれは基本的人権? いや、人権じゃない。

つまり人間と動物も植物も生きているもの同じように愛するという意味での平等が必要です。

そんなことを建前にして敗戦だの平等だの言っているヤツほどインチキなんです。(そうだっ!拍手)



天皇陛下万歳という人はクリックを^^

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天皇陛下の御回復をお祈りします

心にしみるちょっといい話──月刊『致知』の名エッセイ
http://www.voiceblog.jp/chichi/m200802.html#509555

「昭和天皇一代の料理番として」 

■質素だった陛下のお食事

「ぼうやいくつだ、どのくらいできるんだい?」

──東京オリンピックが開かれた
昭和39年の初春、天皇の料理番として有名な
秋山徳蔵さんのこんな第一声で
宮内庁大膳課の面接が始まりました。

当時、私は17歳。
「日銀クラブ」と呼ばれた超高級料亭の料理長でもある
厳しい義兄の下で、料理人への道を歩んでいました。

そこでの修業は、新人といえども
ただ単にお皿を洗っていればいいというものではなく、
出汁をとることから魚を下ろすことまで、
なんでもやらなくてはなりませんでした。

修業期間は1年半と短かったものの、
普通に料理の勉強をしている人に
負けないだけの自信を私は持っていました。

毎年暮れに、宮内庁の新年祝賀会のお手伝いに
出向いていたことがきっかけになり、
「宮内庁の大膳課に欠員ができた、若い料理人を探している」
と私に声が掛かりました。

どうせ宮内庁職員の食堂だろう。
私は、着慣れないスーツを揃え、宮内庁へ赴きました。

何の連絡もないまま、
いつのまにか季節は梅雨になっていました。
半ば諦めかけた頃、宮内庁から採用の通知が届きました。
昭和天皇の食事を作る大膳課和食担当の辞令。

「天皇陛下のお食事なんだから豪華なものに違いない」
「腕によりをかけて勉強して、いい料理をいっぱい作ろう」
と意気込んで大膳課に入りました。

ところが、驚いたことにお食事の献立は
ごくごく一般的な、本当にシンプルなものばかりでした。
大根と白滝を油でさっと炒めて煮た物や
ほうれん草のおひたしなど、ありふれたお惣菜が中心で、
それはむしろ一般家庭と比べても地味なくらいでした。

食器もいたって質素でした。
「こんな普通のものを作りに来たんじゃない」と
いささか拍子抜けしたほどです。

料理人として陛下にお会いできる機会はまずありません。
いつも女官さんを通して陛下の感想が私に伝えられました。


■細やかなお心配り
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ただ、陛下にお仕えした26年間の中で
一度だけ直接お目にかかることができました。

菊栄親睦会という、皇族と旧皇族の方々による
年に1回の催しの席でのことです。

その頃、私は大膳課に入って5、6年が経っており、
陛下のお食事も作り始めていました。
立食形式のそのパーティーで、私は天ぷらの係になりました。

黙々と天ぷらを揚げていると、
目の前に陛下がお立ちになっていました。

この時初めて陛下に直接こうお声を掛けられました。
「穴子としそを」
「はい、かしこまりました」

そう返事はしたものの、頭の中は真っ白。
緊張して手は硬直し、小刻みに震えて、
穴子としそがうまく箸で掴めません。
どうにか揚げなくては、と震える右手を
おさえるように左手を添えながら、
なんとか油の鍋に入れました。

ところが、衣と葉がバラバラになってしまい、
見る影もありませんでした。
それでも陛下は天ぷらの出来栄えを気にするご様子もなく、
喜んで召し上がってくださいました。
その時、私はその場に倒れそうなくらい力が抜けていました。

戦後生まれの私は、正直なところ
それまで陛下を特別な存在と思ったことはありませんでした。
ところがこの日、陛下の穏やかながら威厳のあるお姿に接し、
自分はなんと小さい存在なんだと圧倒されそうになったのです。
生涯この方おひとりのためにお仕えしようと誓ったのはこの時です。

陛下は、思いやりに溢れたお方でした。
例えば人から物をいただかれた時には
贈り主の心を無駄にしないような扱い方をなさり、
常に相手の立場に立ってものごとをお考えになっていました。

お食事に関してもご自身のお言葉の影響力を
分かっていらっしゃったので、
食べたい物もお言葉にはされませんでした。
しかし、おいしい時は必ず「おいしかった」と伝えてくださり、
一度箸をつけた料理は残さずきちんとお召し上がりになるなど、
私たち料理人にも細かい心配りをされていました。

私は、そんな陛下の豊かな人間性に
ますます惹かれていました。


■お仕えするのはおひとりのみ
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陛下が倒れられたのは、昭和63年。
お食事を吹上御所までお運びした数時間後のことでした。
この時のショックはいまも忘れられません。
陛下が最後に口にされた料理はどのような献立だったのか、
いまでも思い出せないくらいです。

それからも陛下のご様態は一向にいい方向には向かわず、
大膳課も最悪の事態に備えていました。

昭和64年1月7日早朝、ついにその時が来ました。
せめて最後のお別れのご挨拶をしたいと、
女官さんの後をついて行き、
御簾の向こう側で永遠の眠りにつかれた陛下に深々と頭を下げました。
私の料理に「おいしかったよ」と言ってくださる陛下には
二度と会えないと思うと、魂が抜けていくような気がしました。

御大葬が終わり、私は次の行き先も決まらぬまま、
大膳課を辞める申し出をしました。
子どもたちはまだ5歳と3歳、
家を買ったばかりでローンもだいぶ先まで残ったまま。

しかし、自分がお仕えするのは
昭和天皇おひとりのみという私の意志は、
決して揺るがなかったのです。

大膳課を辞めた私は、テレビ番組や自宅、
大学で料理を教えるようになりました。
仕事は変わっても、おもてなしの心が料理を作る上での
原点であるという思いは変わりません。

陛下から学んだ思いやりの心を多くの人に伝えることが、
いまの私の使命と思っています。


         『致知』2007年3月号「致知随想」より
         http://www.voiceblog.jp/chichi/m200802.html#509555

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天皇陛下万歳 日本国万歳

本年は,私の即位から20年,私どもの結婚から50年という節目の年に当たりますが,4月の結婚50年に際して,また,11月の即位20年に際して,多くの人々から祝意を寄せられたことに深く感謝の意を表します。 この20年間も,我が国の人々は様々な困難を乗り越えてきましたが,人々が高齢化の著しい社会状況に対処しつつ,助け合って良い社会をつくるよう努める姿に接する時,深い感動を覚えます。私どももこのような国民に支えられ,日々の務めを行なっていくことに幸せを感じています。

天皇誕生日、一般参賀に3万人

近野滋之・民族主義者の警鐘~http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/30687190.html
奉祝と追悼の12月23日、天長節を日本国民として心より慶祝を申し上げます

大東亜戦争終結後より、天皇陛下がお生まれになられた日を「天皇誕生日」とされて来ましたが、日本の正式呼称では「天長節」です。

天長節を日本国民として心より慶祝を申し上げ、天皇陛下が益々お健やかにあらせられることを御祈り致します。

反日勢力による戦後教育の影響により「天皇陛下に敬意を抱かない」方もいますが、首相の任命権は天皇陛下にあり、国際儀礼上の「礼砲」も天皇陛下は21発、首相は19発とされており、「天皇陛下こそ日本の国家元首」なのです。



人々のざわめきと旗の振る音とともに万歳の合唱が轟く







 <天皇陛下>76歳の誕生日 「体調は昨年より良く」

◇天皇陛下の感想全文

  この1年を顧みて、まず思い起こされるのは、世界的な金融危機に端を発した我が国の厳しい経済情勢により、多くの人々が困難な状況に置かれたことでした。住む家を失った人々もあり、心の痛むことでした。また5月以来流行が心配されていた新型インフルエンザは秋になって患者数が増加し、来年がどのような状況になるのか案じられます。ワクチン接種などが進み、流行が抑えられることを期待しています。 

今年も豪雨や台風など自然災害により60人を超す人々が亡くなりました。家族を失った人々の気持ちはいかばかりかと察しています。5000人以上の命が失われた伊勢湾台風から今年は50年になります。当時ヘリコプターに乗って、上空から、一面水に浸った被災地の光景に接したことや、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川の氾濫(はんらん)の災害を受けた長島町の町長の話を聞いたことなど、痛ましく思い起こされます。

豪雨や台風については近年予報が詳しく報ぜられるようになり、これまでの治山治水の効果と合わせ、災害による犠牲者数は減少してきましたが、いまだに年間数十人の犠牲者が生じることは非常に残念なことです。防災関係者の尽力とともに、国民の防災に対する関心が更に高まることを期待しています。 

  今年の夏から、裁判員制度が実施されるようになりました。かつて昭和初期に我が国でも短期間陪審制度が行われたことは、戦後間もないころ、当時の穂積東宮大夫、後の最高裁判所判事から聞いたことがあります。しかし、この制度は日本にはなじまなかったということでした。この度の制度は、以前の陪審制度とは異なり、裁判官と一般の人が共に裁判に参加するという制度であり、今後の様子を期待を込めて見守りたいと思います。 

  7月には総督閣下のご招待により皇后と共にカナダを訪問しました。私自身は56年前、エリザベス女王陛下の戴冠式に参列するため、英国に赴く途次、カナダを訪れましたが、これは結婚前、私がまだ19の時でした。この度の訪問では、カナダが良好な環境を守り、この地に住むさまざまな民族を大切にしながら国を発展させている姿に接し、今日のカナダへの理解を深めることができました。私どもを温かく迎えてくださった総督閣下をはじめ、この訪問に心を寄せられたカナダの人々に心から謝意を表したく思います。 

  昨年は12月初めに体調を崩し、静養期間の間に誕生日を迎えました。多くの人々が心配してくれたことを感謝しています。そのようなことから、今年は日程や行事の内容を少し軽くするようにして過ごしてきました。昨年12月の体調よりは良くなっていますので、来年も今年のように過ごし、皆に心配をかけないようにしたいと思っています。 

  本年は、私の即位から20年、私どもの結婚から50年という節目の年に当たりますが、4月の結婚50年に際して、また、11月の即位20年に際して、多くの人々から祝意を寄せられたことに深く感謝の意を表します。 

  この20年間も、我が国の人々はさまざまな困難を乗り越えてきましたが、人々が高齢化の著しい社会状況に対処しつつ、助け合って良い社会をつくるよう努める姿に接する時、深い感動を覚えます。私どももこのような国民に支えられ、日々の務めを行っていくことに幸せを感じています。

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天皇陛下御在位20年記念式典 御言葉

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天皇陛下御在位20年記念式典 平成21年11月12日(木)(国立劇場)
英文→http://www.kunaicho.go.jp/e-okotoba/01/address/okotoba-h21e.html#1112

即位二十年に当たり,政府並びに国の内外の多くの人々から寄せられた祝意に対し,深く感謝します。

今年(こんねん)は平成生まれの人が成人に達した年で,スポーツその他の分野でも,既に平成生まれの人々の活躍が見られるようになりました。20年という時の流れを思い,深い感慨を覚えます。ここに即位以来の日々を顧み,私どもを,支え続けてくれた国民に心から謝意を表します。

この20年,様々なことがありました。とりわけ平成7年の阪神・淡路大震災を始めとし,地震やそれに伴う津波,噴火,豪雨等,自然災害が幾度にもわたり我が国を襲い,多くの人命が失われたことを忘れることはできません。改めて犠牲者を追悼し,被災した人々の苦労を思い,復興のために尽力してきた地域の人々,それを全国各地より支援した人々の労をねぎらいたく思います。

即位以来,国内各地を訪問することに努め,15年ですべての都道府県を訪れることができました。国と国民の姿を知り,国民と気持ちを分かち合うことを,大切なことであると考えてきました。それぞれの地域で,高齢化を始めとして様々な課題に対応を迫られていることが察せられましたが,訪れた地域はいずれもそれぞれに美しく,容易でない状況の中でも,人々が助け合い,自分たちの住む地域を少しでも向上させようと努力している姿を頼もしく見てきました。これからも,皇后と共に,各地に住む人々の生活に心を寄せていくつもりです。

先の戦争が終わって64年がたち,昨今は国民の4人に3人が戦後生まれの人となりました。この戦争においては,310万人の日本人の命が失われ,また外国人の命も多く失われました。その後の日本の復興は,戦後を支えた人々の計り知れぬ苦労により成し遂げられたものです。今日の日本がこのような大きな犠牲の上に築かれたことを忘れることなく,これを戦後生まれの人々に正しく伝えていくことが,これからの国の歩みにとり,大切なことではないかと考えます。

この20年間に国外で起こったこととして忘れられないのはベルリンの壁の崩壊です。即位の年に起こったこの事件に連なる一連の動きにより,ソビエト連邦からロシアを含む15か国が独立し,それまでは外部からうかがい知ることのできなかったこれらの地域の実情や歴史的事実が明らかになりました。より透明な世界が築かれていくことに深い喜びを持ったことが思い起こされます。しかし,その後の世界は人々の待ち望んだような平和なものとはならず,今も各地域で紛争が絶えず,多くの人命が失われているのは誠に残念なことです。世界の人々が,共に平和と繁栄を享受できるようになることを目指して,すべての国が協力して努力を積み重ねることが大切であると思います。

今日,我が国は様々な課題に直面しています。このような中で,人々が互いに絆(きずな)を大切にし,叡智(えいち)を結集し,相携えて努力することにより,忍耐強く困難を克服していけるよう切に願っています。

平成2年の即位礼の日は,穏やかな天候に恵まれ,式後,赤坂御所に戻るころ,午後の日差しが,国会議事堂を美しく茜(あかね)色に染めていた光景を思い出します。あの日沿道で受けた国民の祝福は,この長い年月(ねんげつ),常に私どもの支えでした。即位二十年に当たり,これまで多くの人々から寄せられた様々な善意を顧み,改めて自分の在り方と務めに思いを致します。

ここに,今日の式典をこのように催されたことに対し,厚く感謝の意を表し,国の繁栄と国民の幸せを祈ります。


宮内庁HPより転載
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h21e.html#D1112

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天皇陛下 和船の櫂を漕ぐ

動画リンク 日テレ24



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以下 産経webより

 葉山御用邸(神奈川県葉山町)で静養中の天皇、皇后両陛下は14日早朝、御用邸近くの海で和船にお乗りになった。天皇陛下はご自身でろをこがれ、秋篠宮妃紀子さまと長男の悠仁さまも同乗された。

 午前7時過ぎ、両陛下は黄色い救命胴衣を持って海岸へ徒歩でおいでになった。紀子さまに抱かれた悠仁さまは、関係者に「おはようございます」と元気にあいさつされた。

 両陛下は、ろが2つある「二挺艪(にちょうろ)」と呼ばれる和船を関係者とともに艇庫から出し、紀子さまと悠仁さまを乗せてご出発。陛下ご自身が、ゆったりとろをこがれた。皇后さまも時折ろを握られた。わずか20分ほどだったが、両陛下と紀子さま、悠仁さまは穏やかな海を楽しまれた。

 宮内庁によると、陛下は栃木県の奥日光に疎開中の小学生時代から和船に親しまれた。最近では、昨年9月と今年5月の葉山御用邸での静養時にも和船に乗られている。

 下船時には陛下が悠仁さまを抱き上げられるほほえましい場面も。両陛下は船を艇庫に戻すのも手伝われた。お帰りの際、陛下は報道関係者に自ら声をかけ、「海がとてもよかったので、よかったです」などと笑顔で語られた。

引用ここまで。



今は亡き祖父のことを思い出しました。
祖父も和船乗りで櫂を漕いで漁をしていた昔話をかつて聞かされた記憶があります。

陛下のお船や櫂を漕ぐ姿は労働(漁をする)であり、先帝陛下から授かったという和船も
日本のよき伝統文化であり実体験を通して子孫に伝える役割をなさってるような気がします。
秋篠宮妃殿下や悠仁殿下にはどのように映っているでしょうか。

波に揺られ秋の風を感じる最中、どのような思いをめぐらせているのでしょうね。
不思議な心持になりました^^


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悠仁親王殿下 三歳に^^

悠仁殿下が三歳になられました。おめでとうございます^^
そして皇室の弥栄(いやさかえ)をお祈り申し上げます。


ところで。。。
(~さま)との呼称は自分的には不快に感じるのだが。。。
例えば、以前は皇太子さまではなく ”皇太子殿下”と呼んでいたはず。
それがいつのまにやら皇族方々に対し「~さま」という呼称が定着してしまっている。
このようなことからも、
不正確な情報を流すテレビのナレーション等による国民への影響は大きい。
偽りの情報を素直に受け取った国民はそれがスタンダードだと錯覚する。
このような事実は数多くある。。。

『 悠仁親王殿下 』が正しい言い方です!
目を覚まして日本人!~keinoheartさんのブログ





秋の皇室SP 悠仁さまのおもちゃと皇后陛下

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新年一般参賀

今年も一年、陛下とともに日本国の弥栄をお祈り申し上げます^^

(産経3日付朝刊一面より)
新年一般参賀が2日、皇居で行われ、天皇陛下と皇族方が午前と午後の計5回、
宮殿のベランダから笑顔で手を振られた。
陛下のご即位から20年、皇后さまとのご結婚から50年となる。(中略)
この日は好天に恵まれ、参賀者は約7万5800人に達した。
ippansanga.jpg

正面中央に天皇皇后両陛下。
左に皇太子ご夫妻 常陸宮ご夫妻 高円宮妃久子さま 承子さま 典子さま
右に秋篠宮ご夫妻 三笠宮ご夫妻

陛下の祝詞

「新しい年をともに祝うことをまことに喜ばしく思います。
厳しい経済情勢の中にあって、
苦労多く新年を迎えている人々が多いのではと案じていますが、
国民にとり少しでも良い年になるよう願っています。
ここに年頭にあたり人々の幸せと、
世界の平安を祈ります。」




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天皇陛下おめでとうございます^^

天皇陛下ヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ バンザーイ♪

天皇皇后両陛下のご健勝と御皇室の弥栄、そして、日本国の安泰をお祈りいたし、
陛下のお誕生日を心からお祝い申し上げ、万世一系皇統のご繁栄をお祈り申し上げます。

誕生日にあたり、皆さんの祝意を表してくれたことを深く感謝します。

先頃健康に不調をきたし、皆さんに心配を掛けましたが、次第に回復していくものとおもっています。

今年ももう僅かとなりました。

厳しい経済情勢の中にあって、多くの困難な状況に直面し、厳しい年の瀬を迎えている人も多いのではないかと案じています。

来る年が少しでもよい年となるよう、またみなさんの健康を大切にし、健やかに新年を迎えられるよう願っています。




ニコ動より 個人撮影動画(ブログ主ではありませんw)
今年初めの新年参賀の風景です。
大衆が皇居内を移動する様子と翻る日の丸の音に雑踏の臨場感が伝わってきて
皇居内の雰囲気が分かると思います。^^

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胡錦濤に天皇陛下がチクリ

(記事より)
天皇皇后両陛下は五月九日、胡錦濤主席を滞在中のホテル・ニューオータニにわざわざお訪ねになり、お別れの挨拶をされた。

宮内庁記者はこう語っている

七日の宮中晩餐会で佐渡での繁殖に成功したトキの話題を話されているのですが、このニューオータニの会議でも、再び陛下はトキの話題に触れられたのです。




陛下
「農業で農薬が使われないことが重要です。」




胡 「放鳥したトキから雛が生まれ、環境はトキにとって良くなっていると思います。」




すると陛下はこう続けられた。

「動物にとって良いことは

人にとって好ましい環境ということですから、

環境は大事だということです。」



この発言は、宮内庁や皇室関係者の間で、「陛下がチクリと中国の環境悪化に
ついて指摘された」と盛り上がったという。

自然と国民を何よりも大切にされている陛下らしいご発言である。自然も国民も大切にしない中国共産党主席に対しては、耳の痛いご発言であったろう。

 この逸話から思うことは、元首が生物学者であられるというのは、自然を大切にする我が国が誇りとすべき国柄の一つである、という事である。
(記事ここまで)
週刊文春、平成二十年五月二十二日、「胡錦濤に環境破壊をおたしなめになった『天皇のお言葉』」


(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」オオオオオッッッ 

戦後63年、皇室外交の場において、陛下が相手国の急所を突く発言を
されたのは今回が初めてとのこと。

トキの誕生に絡めて”毒ギョーザ”や”チベット、ウィグルの人権問題”に言及しています。
陛下のご行動・ご発言は、先が見通せるのではないかと思ったりもします。
いままで、陛下ご自身の判断で踏み込んだ発言は起こりえなかったし、
なによりも、ご自身のご発言により国民に支障をきたす事、
またそのような思いをせずにと、御思いになられてのご発言である。



このお言葉を聞いたコキントウは狼狽したらしい。


しかし。。。
今の総理ときては、、、相手の嫌がることをしない的態度だもんなぁ。。。
なさけなくて泣けてくる( TωT)




河野談話撤回署名にご協力くださいhttp://kounodanwa.com/

今改めて問う 河野談話とは何か?http://youmenipip.exblog.jp/i26

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