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祝「建国記念日」~日出ずる国の物語

今日は紀元節で紀元元年から数えて皇紀ニ六六九年になります。
古事記や日本書紀を初めとした日本の歴史は先祖代々永年語り継がれてきました。日本は神の国すなわち神話の世界で作られ、国がいかにして成り立っているか。神話は現代の科学では触れる事のできない神々様たちの壮大なドラマの連続でありました。そして今日の日本国は、このような神話に登場する神々様によって護られ、私たちはこの国で生かされているんだと感じずにはおれません。古の神々様に感謝するとともに、国民をあげて今日をお祝いいたします。おめでとうございます^^
(神話に出てくる神倭伊波礼毘古命=神武天皇、初代の天皇陛下になります)

何百年もの間、日本人はこの神話を語りついできた。この神話は、日本人もその統治者も、国土も、神々の御心によって作られたということの証明に使われた。現在のヒロヒト天皇は、ジンム天皇の直系(Direct Line)で、第124代に当たるといわれる。かくして日本の王朝は、世界で最も古い王朝(dynasty)ということになる。

参考「世界に生きる日本の心」名越二荒之助

coffeeさんのブログエントリ「日本の建国を学ぼう紀元節~」より引用。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/38788506.html

紀元節

2月11日は建国記念日であるが、大東亜戦争の終戦以前においては紀元節と呼ばれていた。

紀元節とは、神武天皇の即位を我が国の紀元元年として奉祝する日のことである。

近野滋之さんのブログエントリ「日本の誕生日をお祝いしましょう~」より引用。
http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/23252579.html


以下、「やさしく書いた日本の神話」 佐脇嘉久著より
nihonnosinwa01.jpg目次
はじめに
天地のはじまり
国のはじめ
太陽の女神
八岐(やまた)の大蛇(おろち)退治
大国主の命
国ゆずり
豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国
山幸彦(やまさちひこ)と海幸彦(うみさちひこ)
神武(じんむ)天皇
崇神(すじん)天皇
やまとたけるの命
神功(じんぐう)皇后
魂のふるさと
おわりに


日本の建国はどのように成されたのか。おとぎ話として読めば分かり易いと思います。

 一部抜粋。かなりな長文です。お時間のある方向け^^;

神武天皇

美しい東の国へ

 神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)は、兄上の五瀬(いつせ)の命と力を合わせて、日向(ひなか)の高千穂の宮で天下を治めておりました。しかし、その地は西に寄りすぎているので、遠くの土地には正しい政治の力が届かず、小さな部落がまだ独立して、たがいに争いあっているような状態が続いていました。

 そこで、日本全体をもっと平和な住み良い国にするには中心を移さねばならない、というので相談を重ねました。

 その中で、神倭伊波礼毘古命はこのように意見を述べました。

「昔、高天原にいらっしゃる、高御産巣日神(たかみむすびの神)と、天照大神が、この豊葦原の瑞穂の国を、われらのご先祖である、ニニギの命に授け、天の理想をこの地上にも実現させるようにとお命じになりました。そこでニニギの命は、高天原から八重にかさなる雲を押し分け、先きがけの神を遣わして、この地上に天降られました。その頃はまだ世の中は開けず、荒々しい世界で、明るい見通しもつきにくい時代でした。

 そうした、まわりの、騒がしさや未開の世界の中で、ただ、ひたすら正しい道を大切にし、養って、この西の地方をお治めになりました。われわれの祖父のほおりの命(山幸彦)、父の鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえずのみこと)も、みな神であり、比べる者のないほど立派な方々で、みなの喜ぶよい政治をおこない、慈しみを豊かに与えてきました。そして多くの年月を経ました。ににぎの命が天降られてから、どれほどの年月が経過したか、数え切れぬほどです。

 しかし、遠い遥かな土地には、天の神の心をもとにする平和と喜びの政治の力が届かず、みなはその潤いに浴していません。

 大きな村には君があり、小さな村にも長がいて、おのおの境を作って、互いに争い合い、侵し合っています。何とかして都を中央に移してみんなが争いのない、よい政治によって幸せになるように考えようではありませんか。

 ところで、私に、塩土の神が申しました。『東の方角に美しい所があり、青々とした山々がその地を四方から囲んでおります。その地に天により天(あめ)の岩舟に乗って飛び降りた者があります』と。

 私は、その地こそ、天下を治める大切な事業を十分に展開させ、あまねく天の光で地をうるおすに、ふさわしい土地と思います。

 まさに天下の中心となるべき地ではないでしょうか。
 天磐船(あめのいわふね)で飛び降りたというのは、邇芸速日命(にぎはやひのみこと)でしょう。
 一つそこへ行って都を作ろうではありませんか。」

 だれもがこの意見に賛成でした。

「まったくもっともです。みんな前からそのようなことを心の中で考えていました。さあ、一つ速やかに出発しましょう。」

 一行はまず筑紫(つくし)〔九州北部〕を目指して出発しました。

中略


 一行は、椎根津日子(しいねつひこ)の道案内で、なおも東へ東へと進んでいきました。やがて波立ちさわぐ浪速(大阪)の海を通り過ぎて、河内(大阪の南)の波静かな白肩の港に船を止めました。

 そのころ大和の国の登美というところに勢力をはっていた長髄彦(ながすねひこ)とい者がおりました。長髄彦は命たちの一行が来たことを知り、
「天の神の御子たちがやって来たのは、われわれの国を、奪うために違いない」と考え、大勢の兵を引き連れて待ち構えていました。

 命の一行が、船から降りようとすると、どっと矢を射掛けてきたので、船の中に用意してあった楯を取り出して、楯で矢を防ぎながら上陸しました。そして前進を始めましたが、敵の勢力が激しくなかなか進むことが出来ません。

 この激しい戦が、まさにたけなわの時、長髄彦の放った鋭い矢が五瀬の命の肩を貫いて深い傷を負わせました。

 神倭伊波礼毘古命は心の中でこれからの方針を考え、皆に申しました。

「今、私は太陽の神の子孫であるのに、太陽に向かって攻めて行くのは天の道に背いている。ここは一応退いて、天の神、地の神を祭って、神の心と一つになって、次の機会には太陽を背にして、太陽の神の威光を受けて進むことがよい。そうすれば刃を血で彩ることなく、敵対する者は自然に敗北するだろう」

 このお言葉を聞いてみな「その通りです」と申しました。

 そこで全軍に、「みんなここに留まれ。これ以上進むな」と命じ、全員を引き返させました。長髄彦も追ってくる気配はありませんでした。

 そこで一行はまた船に乗り、南へ向かいました。途中、五瀬の命は矢の傷が大変痛んだので、傷を海の水でお洗いになりましたが、よくはなりませんでした。

 それからしばらくして、「大神(おおかみ)の御心を実現する前に、彼らから受けたこんな傷で死んでしまうのか」と剣の柄をしっかりと握り、雄々しく叫んでおかくれになりました。

やたがらすの案内

 兄上の五瀬の命が失われた、神倭伊波礼毘古命は、そこから、ぐるりと南へおまわりになり、同じ紀伊の国の村に着きました。

 その時、大きな熊が突然姿を現し、すっと消えてしまいました。

 これは熊野の悪い神が熊に化けて出てきたもので、あやしい毒気を吹きかけたのです。

 命も、お伴の軍勢も、この大熊の毒気にあてられて、急に目まいがして病気のようになり、気を失ってバタバタと倒れてしまいました。

 その時、熊野に住む、たかくらじ(高倉下)という者が一振りの太刀を持って出てきました。そして倒れている、神倭伊波礼毘古命のかたわらでその太刀を命の方に差し出しました。その瞬間、命はフッと正気にかえって、「おや、知らない間にずいぶん長く眠ったものだ」とおっしゃいました。

 そして、たかくらじの捧げ持った太刀を受け取ると、その太刀を打ち揮わないのに、太刀の持つ不思議な力によって熊野の悪い神たちはバタバタと倒れてしまい、気を失っていた命の軍勢は体に回った毒が消え、みなが起き上がりました。

 命は思いがけない太刀の持つ威力に驚き、たかくらじにどこからその太刀を手に入れたかお聞きになりました。たかくらじはうやうやしく答えました。

「じつは、ゆうべ、このような夢を見たのでございます。天照大神と、たかみむすびの神が、たけみかずちの神をお呼びになってこうおっしゃっているのです。

『豊葦原の瑞穂の国は今大変乱れて騒がしい様子である。われわれの子孫たちがそれを平和にしようと努めているが、悪い神に苦しめられて困っているようだ。あの国は一番はじめにあなたが行って大国主(おおくにぬし)の命と話し合い、おさめた国である。だからもう一度、降って行って平和にしてくるように』

 するとたけみかずちの神は、こうお答えになりました。

『私が直接まいりませんでも、この前に国を平定した時、活躍した太刀がございます。この太刀を私の代わりにくだしましょう。それには、たかくらじの倉の屋根を突き破って、そこから倉に太刀を落としましょう』

 そうしてたけみかずちの神は夢の中で私に向かって申されるには、

『この太刀をお前の倉に落とすから、朝、目が覚めたら、すぐにその太刀を天の神の御子にお渡ししてくれ』とのことでした。

 目が覚めましてから倉へまいりましたところ、まさしく夢で告げられたとおりに太刀がございましたので、こうしてお届けに参ったのです」

 こうしてたかくらじが届けに来た太刀の威力で一行は正気を取り戻し、大和の方へ向かうことになりました。

 しかし、熊野の山の中はけわしくて、行く道も見つかりません。同じようなところを行ったり来たりして、進むことが出来ませんでした。

 ある夜のことでした。命の夢の中に、天照大神があらわれて、

「天の神の御子よ、ここからけっして進んではいけません。この奥には荒々しい悪い神たちがたくさん待ち受けています。いま天から、やたがらす(八咫鳥)をつかわすから、その鳥の導く方向へ進んで行きなさい」とお告げになりました。

 あくる朝、そのお言葉どおり、やたがらすが、大空より飛び降りてきました。

 神倭伊波礼毘古命はたいへん感動して、

「この鳥がやってくることは昨夜のめでたい夢に教えられたとおりだ。大いなるかな。盛んなるかな。天照大神のお力よ。こうして、われわれの大事業が成功するように助けを送ってくださっている。何ともありがたいことだ」

 と思わず感激の言葉を発しました。

中略


日本建国の日

 神倭伊波礼毘古命は、いよいよ大和の橿原の地に宮殿を作り、第一代の日本の天皇のみ位におつきになるのですが、天皇のみ位におつきになる二年前の三月七日、次のようなお言葉を発せられました。

「天の神々の威光によって、族どもは滅ぼされた。遠くの国はまだ静まらないが、中央の大和の国は、もはや安らかになった。ここに広い都を作り、宮殿を建てよう。今は時代も若々しく、まさに葦の芽が萌え出るような息吹が感じられる。人々の心も素直だ。

 これまでは木の上に住み、穴の中を家とするのが習わしだった。今からいよいよ新しい時代に移る。生活ももっと進んだものに変えねばならない。

 今、天の神の御心に相応しい新しい制度を定める時であるが、これはきっと今の時節に相応しいものとなるであろう。国民のためを考えて作る制度はきっと天地の道にかなうであろう。

 山林を切り開いて新天地を開き、宮殿を完成して、つつしんで天下を治める位に就き、人々が安らかに生活を楽しむような、政を行い、天照大神をはじめとする、天の神々が国をお授けになった尊いお気持ちに応え、また、天の神々のお気持ちも受け継いで地上に降って来られた、ニニギの命をはじめとするご先祖の神々が代々、正義を養われたその心を広めよう。

 また、すべての国々が手を繋ぎあって、地上を一つの家のようにすることは素晴らしいことではないか。

 あの畝傍山(うねびやま)の東南、橿原の地は、国の中心と思われる。ここに都を定めよう。


 都作りを始めて二年経った年の一月一日、神倭伊波礼毘古命は橿原の地で天皇のみ位に就かれ、天皇になられました。後の世に神武天皇とお呼びもうしあげるお方がこの天皇です。

 この一月一日を現在の暦に記した日が二月十一日です。

 神武天皇がみ位におつきになった時を、日本が国として形を整えて出発した時とし、その年を日本の紀元元年とします。


葦原の しけしき小屋に

菅畳 いや清敷きて

わが二人寝し

伊須気余理比売(いすけよりひめ)を皇后に迎え、天皇は狭井河の家をしのんでこの歌を詠まれました。

Category : 日本神話
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神話に見る「日本家族観の破壊」

引用文献 「美しき日本の再建」~谷口雅春著

占領軍は生命と家系の連続をバラバラに分断した。
※占領軍=敗戦時の欧米諸国、主に米軍 占領憲法はその当時米軍によって作られた現“日本国憲法”を指す

占領軍が日本に上陸して先ず第一に行ったのは、天皇と国民との家長的=赤子的関係を引き裂くことであった。天皇は大東亜戦争の開始される直前の「御前会議」に於いて、唯ひとり、開戦に反対した方であったのに、占領軍は「天皇があるので戦争が始まった」如き宣伝を行って天皇と国民との間を離間しようとしたのである。

日本の「家」の制度を廃止し、家督相続を廃止し、「個」の生命が神より発して歴代の祖先及び父母を通じて今ここに顕現している祖宗=父母=子孫一体の生命の否定し難き事実を否定して、個人は単に財産関係に於いてのみ父母につながるという唯物論的不合理極まる人間観に立って、占領憲法は財産相続だけを親子の関係に於いて認めたのである。

かくて子は親に背き、父母は老いて頼る辺なくして、その寂寥を歎いて自殺するものすら生じた。
そして占領軍はこのような憲法を「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づく」などと、しらじらしくもこの押し付け憲法の前文に書き込むように強制したのである。

占領軍による分割・分断による征服方式のイザナミ文明の上陸は、色々な方面に“日本の心”と“日本の文化”を分割してその力を弱めようとしたのである。産業というものは資本と経営と労働とが一体となってこそ摩擦なく調和した健全な生命体として発達して行くものであるのに、“資本家と労働者”又は“経営者と労働者”のいたち不分の関係を分断して、両者が互いに敵対者であるかのごとき西洋的先入観をもって、占領憲法は、団体争奪権を制定して、賃上げというものは団体闘争によって経営者を恐喝しなかったならば、得られないかの如き錯覚を国民に起こさしめて、つねに国内に騒乱の種を蒔いて日本を弱体化しつつあるのである。

そして労使の闘争の如く、集団の威嚇により相手を脅迫して目的貫徹する方法が採用せられているのが、今の学生騒動なのである。日本は現在、経済的には豊かになっているけれども生命体としての国家はいつ崩壊するか分からないような危険な状態であるのである。これらはすべて西洋の「分割して支配せよ」の征服方針によって、日本の一円融の精神が侵蝕されつつある結果なのである。

彼ら(占領軍)は飽くなき分割・分断の大鉈を揮って、日本の産業組織を不振に陥らしめる目的によって産業組織を分割した。即ち“財閥解体”と“独占禁止法”とによって大組織の産業コンツェルンを構成する兄弟会社をバラバラに分断して互いに連絡なきものとしたり、一社で独占事業を行って有利に企業を進め得る大会社は、これを数社に分割したりした。

即ち王子製紙を王子製紙、本州製紙、十条製紙の三社に分割した如きである。
すべて分割分断によって産業界のみならず、およそ日本の国力を弱体化する政策が進められたのであった。これにもかかわらず、戦後の経済界のこのような素晴らしい復興振りは、日本民族の知能の優秀性をあらわすことに他ならない

要するに西洋文明は分割の文明であるのである。
「成り成りて成り合わざる」(古事記)イザナミの国の文明である、それはナミであるから「漂える国」(古事記)の文明であり、波動の文明であり、動揺の文明であり、高度に発達すればするほど、互いに利益と権力の争奪戦が激化して動揺が激しくなる文明である。


軍備競争は絶え間なく、人間自身の文明の発達によって人間自身がニ進にっち三進さっちゆかなくなること、自動車の交通麻痺や空気汚染による公害等にみられるような無数の弊害が至る処に起こるようになっているのがこの物質文明の結果である。それはイザナミの大神が「黄泉(よもつ)大神」という名称で『古事記』に記されてあるように、結局は黄泉(よもつ)国(死の国)につながる文明であるからである。この文明の弊害を是正し補正し賦活して行くのが霊的文化・イザナギ文化・“日本の心”でなければならないのである。

Category : 日本神話
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